テキスト書き出し 001

山奥に拠点を移してから約3ヶ月。いま、このタイミングでぼくが思う5つのこと。

「自分の人生に夢中な状態」だと他人をdisることをしなくなった

みなさんにも経験がありませんか?

表向きでは「仲良し」のフリをして、

裏側では「実はそうでもないアピール」みたいなことをされてたり、

はたまた自分がしてしまってたり。

いわゆる「仲良しごっこ」ってヤツですよね。

当たり前のようにそんな光景がずっと昔からあったので

「そういうもんだ」って勝手に決めつけてたワケでして。

でも、ある時に気がついたんですよ。

あれ?そういう「誰かを名指しでdisること」は一切しなくなったなぁって。

なんでだろう…と、ほんのちょこっとですが考えてみたんです。

そしたら今は「自分の人生」に夢中だから、

「他人の人生」と比べることなんかに興味が湧かないんだ!

という「結論」に達したんですよね。

それと同時に、なんで昔はそんなこと言ってたんだろう…

という「疑問」も湧いてきました。

ので、今回の記事ではそこも掘り下げていくことにした感じです。

「学校教育的な価値観」に染まると抜け出すことが困難になる

最近思うんですよ。

都会から離れたド田舎、

「アウトドア」な自然環境の中で人とコミュニケーションを取ると、

どうしても「ただの人間同士」という状態になっちゃうんだなぁと。

だって、どんなに「立派な肩書や経歴」を持ってたって、

「目の前」のアナログな問題を

「解決」するスキルがあるかどうかとは

「直結」しないじゃないですか。

大切なのは、その場である

「その体1つ」で出来ることがあるのか、なんですよね。

野菜を育てることができたり、

木を切って加工することができたり、

動物を捕ることができたりといった

「リアルな能力が問われる」ワケです。

だから、そこに生まれるのは適材適所で役割分担をした

「横のつながり」です。

※関連記事:平均化した都会には無い?田舎の「適材適所」による助け合いは自己肯定感が育つ件

大企業とかにありがちな、

同じスキルの経験年数が長短だけの違いである

「縦のつながり」は0でして。

前者の人間関係は「必要とし必要とされる」感じで非常に

「自己肯定感が育つ」ワケなんですけど、

後者は「ひたすら自分の優位性を主張し続ける潰し合い」なんですよね、残念ながら。

つまり、上下関係を作ろうとする人は

「工業社会に都合が良い学校教育的な価値観」に染まっちゃってるんですよ。

自然の中では通用しない、不自然な形に思考が固まる感じ。

ぼくはそこから抜け出すのに「10年」かかりました。

1度染まると脱出は困難ですね。

工業社会はお金は稼ぎやすいかもしれないけど他の部分が0だらけ

工業系の仕事って、分業化が進み過ぎて

「自分が作った達成感が0」だったんです。

Aさんは1日じゅう長い部品1つ運ぶとか、

Bさんは1日じゅう短い部品2つ運ぶとか。

さらに時給いくらとか、月給いくらとかだと、

「1円の重み」もわからないままでして。

たしかに、いまはまだそっちのほうが

「需要」があるのでお金は稼ぎやすいですよ。

ただし、「仕事のやりがいは0」でしたけどね。

やりがいを感じられない=生産者としてのプライドも育たないので、

いつまでもお金を使ってばかりの消費者から抜け出せないし、

「消費」だけでは心の余裕はむしろ0になります。

そして、その地位が無くなったら死んじゃうという

「謎の強迫観念」が生まれるという感じ。

結果的に、前述の他人をdisる行為に繋がるという

「悪循環」が生まれるということですね。

早めに「価値観は1人1人それぞれ違う」と体感できて良かった

お金を稼ぐこと自体はマジで大切ですけど、

お金を稼ぐ「経緯」も同じぐらい大切です。

だから、結果として「年収1千万円」となっている人でも、

死んじゃうんじゃないかって負荷で継続が厳しかったり、

支出が99%とかだったら幸せとは限らないですよね。

ぼくは「幸せになれる」と思って大企業に入って、

けっきょく「まったく幸せを感じたことが無かった」ので、

働いてた10年間ずっと「違和感」を抱えていました。

誰かの言ってた「幸せの条件」のとおりにしてみたら、

実際はぜんぜん違った感じ。

そもそも、幸せなんてものは自分の中に

「もともとあるもの」「気付くもの」だったのです。

※関連記事:トヨタ自動車を退職してから1年。幸せの中をいま、ぼくは生きている。

死ぬ前にそこに気付くことができて、本当に良かったと思っています。

価値観を自分で選ぶという「人生を取り戻すための努力」

最近ほんとに強く感じるんですけど

「毎日ワクワクできているかどうか」

が自分で選んだ価値観の中にいるかどうかの

「バロメーター」になるんじゃないかなぁって。

なんというか、自分自身の価値観って今の世の中だと

「最初は他人に奪われてる」ような気がしてならないんですよ。

親だったり、教師だったり、上司や先輩だったりに。

その奪われたモノをいかにして取り戻すか。

本当に今ある価値観は自分が選んだのか?

そこが1番努力すべき大切な「ポイント」なのではと思ったので、

ぼくは環境、人間関係、仕事を変える行動をしてみたんですよね。

それがたまたま脱サラ&移住でした。

その結果、毎日「幸せがあることに気付くことができるようになった」感じですね。

そんなふうに、ぼくは考えてますよっと。

ということで、以上です。それではまた!

 

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