こんにちは、ぴーすけ(@pskpsk1983)です。

脱サラしてド田舎に移住してから「傷つく」と言えば、

柚子の収穫中にトゲが刺さって血まみれになるという

「物理的」なことばかりだったのですが…。

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思い返せばサラリーマン時代は「精神的」なことばかりでした。

職場から離れて時間が経った今だからこそわかる、

そして伝えることができるメッセージがあると思いましたので…。

今回、勇気を出して全10章にまとめてみることにいたします。

職場で上司や先輩から理不尽に罵倒され、

「深く傷ついた経験のある人」はぜひご一読くださいませ。

(※当記事は2015年と2016年に初掲載された複数の記事を1つに集約後、

さらにリライトして2017年に再掲載したものです。)

①罵詈雑言を使い続けた人の末路は「孤立」だったということ

ここ10年でスマートフォン等による、

持ち歩ける手軽なインターネットの普及が

「急激に進んだ」ことはみなさんもご存知かと思います。

それは職場でのハラスメントや過労による自殺や突然死が、

SNSなどで「可視化」されるようになった側面もありました。

特にぼくが勤めていた会社は世間体を非常に重んじる社風だったので、

毎月の社内報などでセクハラ、モラハラ、パワハラに関する

「マナーやモラルの向上」的な啓蒙活動を細かくしていたのです。

その結果、ぼくの教育係だったパワハラな先輩はどんどん孤立していきました。

②相手に言ってるようで自分に言ってるようなものだということ

今まで幅を利かせていた他人を罵詈雑言で理不尽に罵倒する人間は、

そういった意味で今後「逆に淘汰されていく」であろうと考えております。

「◯ね」とか「ぶっ◯す」と言った側が不利な状況になるワケですね。

相手に言ってるように見えて、

自分に言ってしまっているようなものだということです。

この流れはきっと1つの会社に限った話ではなく、

社会全体の流れなのではないのでしょうか。

だからぼくはそういう言葉を投げつけられても、

自分がこれからの世の中を生き抜くために

「投げ返さない」ほうが良いと考えてますし、

実際に今までほとんど使っておりません。

③言葉遣いがその人の「生きてきた姿そのもの」だということ

その人の言葉遣いを変えるということは、

その人の生きてきた何十年もの人生を変えるという話です。

不可能ではないとは思いますが経験上、

相手が「悔い改める可能性は限りなく低い」と考えております。

この場合の選択肢は「距離を取る」「同化する」かの2択。

ぼくは「こんな人にはなりたくない」と思ったので前者を選びました。

④罵倒や叱責に「慣れるべきではない」ということ

ただみなさんの中にはパワハラを

「現在進行形で」受けている人がいらっしゃると思います。

そしてなんとなく「慣れてきた」とも感じている人もいらっしゃるのでは。

ああ、給料(相手)がなんか喋ってる…みたいな。

それ、めっちゃ危険です。

断言します。罵倒や叱責には「慣れるべきではない」です。

ぼく自身が入社後から数年はそのパワハラな先輩の存在

「以外」は順風満帆だったと感じていたのですが…。

ある日、同期の同僚たちとの飲み会で会社の愚痴大会になると、

あることに気付いたのです。

「自分自身の言葉遣い」が汚くなっているということに。

ぼくはある意味で「自分が死につつある」ことを自覚しました。

他人からの影響で「自分の中に望んでもないキャラを作らされている」と思ったのです。

⑤怒りを誤魔化して愚痴ると「感染する恐れがある」ということ

そのことから1つの結論を得ました。

それは「愚痴ると感染する」ということです。

それはぼく自身が新入社員の教育係になった時に確信しました。

上司からの「オマエ、アイツによく似てきたなぁ」という一言で。

自分でも知らないうちに、されて嫌だったことを後輩にしていたのです。

まさに負の連鎖でした。

結局のところ、好きの反対は嫌いではないのです。

熱心なアンチは熱心なファンと同じとよく言われますよね。

そのころからどうにかしてこの環境から脱出できないかと考えるようになりました。

⑥でも心の痛み辛さは「言葉」にするべきだということ

誰かの行動が写るような愚痴りかたはオススメしませんが、

単純にあんなこと言われて傷ついた、悲しかった、辛いなどは、

言葉として文字にしたり、声に出したりすることはオススメしています。

なんだか心の中から外に手放せたような感覚にもなりますし、

客観的に自分が今どんな状況にいるか把握することにも繋がるからです。

⑦言われた罵詈雑言は全て「記録」に残すべきだということ

そして記録として残すことは「もしもの時の証拠」にもなりますしね。

リアルでもネットでも、こういった言葉を使い続けるリスクは上がり続ける一方です。

しかし何も記録を残してなかったら「言われ損」には間違いありません。

中には思い出したくないから記録なんてしたくない…

と思う人もいらっしゃると思いますが、怖気づかずしっかり記録を残しましょう。

(※不特定多数に実名顔出しの晒し上げは名誉毀損の可能性があるので要注意です)

⑧ホワイト企業もブラック上司に当たれば「地獄」だということ

ぼくが勤めていた会社なのですが…。

ホワイトカラー職ではそういう人材を見たことがありませんが、

ブルーカラー職は世の中の景気が良い時に

「中途採用を大量に行っていた」ので当たり外れが激しかったですね。

当たりを引いた元同僚たちは楽しそうにしてますし、

ぶっちゃけぼくは外れを引きまくったので脱サラした感じなのです。

世間の評価に惑わされず、当たりか外れかも「自分で判断する」ことが大切ですよ。

⑨抜け出すには関わる人、物、事、場所を変化させるということ

ぼくは何も脱サラをオススメしているワケではありません。

そもそも当時ぼくは前例の無い部署の異動を申請し、運良く認められたのですが…。

その直後に不眠を発症し、心身ともに疲れ果てて「辞めざるを得なかった」からです。

そんなことになる前に皆さんにはぜひ、

いま関わってる人や、物や、事に対して客観的に当たり外れを評価してみてください。

命の危険を感じるようになってからでは遅いですので、今すぐにでも。

⑩脱サラしても生きてる人間がここにいると伝えたいということ

特に不眠を発症してから最後の数ヶ月はずっと「死にたい」と考えてました。

出勤時に会社のゲートを見ただけで涙、吐き気、めまいがしたほどです。

でも脱サラした今は「生きてるだけで幸せ」と感じるようなレベルまで復調しました。

会社を辞めることは最終手段ですが、辞めても生きてる人間はここにいます。

もっと器用なやりかたはいくらでもあったでしょうが、不器用ながらもまだ生きてます。

だからもしこの記事を読んでる人の中に「死にたい」と考えてる人がいましたら…。

まだ身体が動くようでしたら、上に書いたことだけでも良いので試してみてください。

もしかしたら会社を辞めずに済むかもしれませんしね。

そして繰り返しになりますが、辞めても生きてる人間がいます。

ぼくがブログを書き続ける理由は、実際のところただ「生存報告」したいだけなのです。

こんな感じですが、今日もぼくは生きてますよ、って。

 

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