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こんにちは、ぴーすけ(@pskpsk1983)です。

毎年この時期は「とある人」たちのことを思い出します。

(※当記事は2015年9月3日初掲載し、2017年1月13日にリライトしました。)

20歳のときに「幼馴染」が飲酒運転事故で亡くなった

ぼくの実家のナナメ裏となりには、

「幼馴染の女の子」が住んでました。

ぼくは下に「妹が2人」いて、

その「幼馴染の女の子」「その子のお姉ちゃん」と、

男1人女4人の計5人で幼いころによく遊んでいた記憶があります。

でもそれは10歳ぐらいまでの話で、

思春期を迎えるにつれてだんだんと疎遠となり、

15歳の時からはその女の子が「家庭の事情」で引っ越してからは、

完全に疎遠となっていたんですよね。

その「幼馴染の女の子」と再会したのは、

ぼくらが20歳になったちょうど今頃の季節でした。

ただしぼくは喪服を着て、

彼女は葬儀場の棺の中で「死に化粧」をしていたんですけどね。

そして街中を歩いていたらスカウトされそうなレベルの、

まさに町1番の「美人」だったはずの彼女は、

明らかに形を「修正」されてました。

歯はすべて無く、穴はすべて詰め物で塞がれて、

文字通り「変わり果てた姿」となっていたんです。

そしてこの状況に至った原因は、

彼女が「飲酒運転の事故に巻き込まれたから」とのことでした。

同級生たちが泣き叫ぶ姿を見ながら、

ぼくは恐怖に戦慄していたんですよね。

「自分が乗っている自動車というものは凶器にもなる」という事実に。

悲しさももちろんありましたが、

恐怖の気持ちのほうが一生消えないトラウマとして、

強く心の中に残っていると感じています。

30歳の時に「友人」が飲酒運転事故で逮捕された

もう1人、この時期になると思い出す人がいます。

それは飲酒運転事故で逮捕された「友人」です。

不幸中の幸いか物損事故でケガ人などはでなかったのですが、

その事故は「Yahoo!のトップニュース」に出てしまいました。

もちろん彼は勤めていた会社から懲戒解雇。

ネットが大きな影響力を持つ現代で、

彼が失ったものは計り知れないものがあります。

まぁそこまで親しくなかったので、

事故の直後から今日の日までぼくが彼とやり取りすることは叶わなかったのですが…。

それでもぼくはなぜ彼が

「何故その事故を起こしてしまったのか」

と原因をずっと探っていたのです。

「したことがない自分」と「したことがある他人」との違い

ぼくは飲酒運転をしたことがありません。

というか「できない」のです。

幼馴染の最後の姿が目に焼き付いてしまっているので、

絶対にそのような状況にならないようにしています。

自分の行動が恐ろしい「暴力になるかもしれない」という、

「恐怖」がぼくにブレーキをかけます。

かたや飲酒運転の事故を起こしてしまった友人。

この違いは何なのか。

飲酒運転の事故によって、

(被害者と加害者との立場の違いはありますが)

とある2人の人生の変えてしまったこの季節に、

ぼくは今一度そのことについて考えてみることにしました。

それは「結果をイメージできるかどうか」なのでは?

結局のところ加害者になってしまった人は、

「飲酒関連の事故で身近な人を亡くしたことがなかっただけ」のでしょう。

想像の域は越えませんが、

「そのような経験があってもする同様の行動をしてしまう人はまた別の問題」

ではないのかと思われます。

とにかく彼は自分の行動がどのような結果になるのか、

まったく「イメージできていなかった」ということでしょう。

その友人が起こした事故は「たまたま」誰もケガ人がいませんでしたが、

一歩間違えたら10年前の幼馴染が命を落とした時のように、

たくさんの悲しむ人たちがいたかもしれません。

でもここで誤解されたくないのは、

ぼくは彼を責めるつもりはないということです。

結果的に、その友人は「人の命を奪うという一線」を越えていません。

そういった意味でぼくと彼は「同じライン」にまだいると、

ぼくはあえてそう考えます。

誰かを責めるまえに考えるべきことがある

そういう考えに至った理由の一つに、

昨今の「ネットで炎上している光景」を見ていて感じたことが大きいです。

特に「叩く側」にいる人たちは誰もが、

「自分は失敗しないと思い込んでいる」のではないのでしょうか。

あくまでぼくが見てきた範囲だけですが、

「誰かを責めがちな人」「いつも怒っている人」ほどその傾向が強いと思います。

何度もこのブログで書いてきたことですが、

「今まで失敗しなかったこと」「これから失敗すること」は別問題です。

失敗する可能性のスタートライン自体は、

「毎日」「毎朝」の単位で誰もが一緒なんですよ。

ぼくは覚悟があるから飲酒運転が「できない」

「今までが大丈夫だったから、これからも大丈夫だ」と思って、

可能性を何も「イメージ」をしていないことは、

自分の人生に対する「当事者意識」がなさすぎると思います。

そうイメージしたうえで、

「全ての可能性に対する覚悟」を持って行動する。

それがこれから迎える、

「個人それぞれが当事者意識を持つべき時代」に必要なことではないのでしょうか。

そういった意味で、

ぼくは「覚悟がある」から飲酒運転ができません。

これがぼくの飲酒運転「できない」たった1つの理由です。

 

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